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札幌地方裁判所 昭和63年(わ)1024号 決定

少年 N・J(昭44.10.14生)

主文

本件を札幌家庭裁判所に移送する。

理由

一  本件公訴事実は、

被告人は

第一  公安委員会の運転免許を受けないで、昭和63年4月2日午前6時15分ころ、千歳市○○×丁目××番付近道路において、普通乗用自動車を運転した

第二  前記日時ころ、業務として前記車両を運転し、前記場所付近道路を○○方面から○○方面に向かい時速約50キロメートルで進行し、同所先の交通整理の行われている交差点を直進するに当たり、同交差点の約60数メートル手前で同交差点の対面信号機が赤色灯火表示となっているのを認めたのであるから、同信号表示に従って交差点入口直前で停止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、同信号表示を無視して前記速度のまま同交差点に進入した過失により、右方道路から信号表示に従つて進行してきたA運転の普通乗用自動車左側部に自車前部を衝突させ、よつて、同人運転車両の同乗車B(当時86年)に、加療約13日間を要する左側胸部打撲症の傷害を、同C(当時73年)に、加療約29日間を要する左肩関節打撲症等の傷害を各負わせた

第三  前記日時、場所において、前記第二記載のとおり、Bほか1名に傷害を負わせる交通事故を起こしたのに、その事故発生の日時及び場所等法律の定める事項を、直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつた

というものであつて、右の各事実は当公判廷において取り調べた関係各証拠により、これを認めることができる。

二  そこで被告人の処遇について検討する。

被告人は、父N・Tと母N・Eの二男として出生したが、昭和57年4月には父母が協議離婚し、それ以後父親が親権者となり、母親とはその後交渉がない。又父親は親権者となつたものの現在アルコール中毒患者として北海道千歳市内の病院に入院しており、実質的に被告人を監督する立場にあるのは兄のN・H(昭和40年4月20日生)である。他の兄弟として被告人には妹(昭和46年6月11日生)がいる。

本件各犯行は、被告人は無免許であるにもかかわらず、被告人の兄N・Hの所有していた無保険無車検(ただし証拠上被告人に犯行当時この点についての認識があつたとは認められない。)の普通乗用自動車(自宅前の路上に駐車)を兄が友人たちと飲酒した後寝込んでしまつたすきに乗じて(車の鍵は自宅の茶ダンスの上のカゴ内に常時放置されており厳格に管理されていなかつた。)護を取り出し、運転して惹起されたもので、被告人の常習的な無免許の一環として敢行されたものであることが窺われるところ、本件業務上過失致傷については、その過失の態様も、午前6時ころという早朝ではあつたものの時速約50キロメートル(規制速度時速40キロメートル)で走行し、事故現場の交差点手前約60メートルで対面信号機の赤色灯火表示を確認しているにもかかわらず、減速等危険回避の措置を講ずることもなく、交差道路を通行する事は無いものと即断してそのまま交差点に進入したといういわゆる信号無視の事案の中でも極めて悪質なものであるうえ、事故後に現場から逃走したというものであつて卑劣な犯行である。

更に、被告人の本件犯行の結果2名の被害者を負傷させた他、相手方の車に多大な損害を発生させたのであるが、被告人は捜査段階の当初から誠意を尽したい旨述べるのみで7か月余経過した今日に至るまで負傷させた被害者の治療費すら全く弁償されておらず弁償についての具体的な約束すら交されていない情況にあり、被告人は事故当時の職をその後辞め、今後アルバイトをする予定とのことであり、被害回復の為誠実に努力している姿勢を窺うことが困難であり、又同居の兄妹も自己らの生活を支えるのに精一杯で親族等の援助により被害回復を期待することは困難な状況にある。してみると、被告人が現在満19歳の少年であり、初めての公判請求を受け、本件の公判審理を通じてその刑責を厳しく糾明されたことから現在においては本件犯行の重大性を認識し反省を深めたと認められるほか、本件各被害者が誠意ある被害弁償を望みつつも必ずしも被告人の厳重処罰を希望していないこと等を考慮しても、本件犯行の動機・態様・結果等に照らすと本件について刑事処分を選択するとすれば相当期間の不定期刑を科し直ちに矯正施設内に収容することは避けられないと判断されるところ、本件被告人に対しそのような厳しい刑罰をもつて臨むことは、少年の健全育成を図るという少年法の趣旨に照らし、相当でない。

そこで更に本件について被告人を保護処分に付することの可否について検討するに、被告人は本件行為当時未だ満18歳、現在でも満19歳の少年であり、昭和60年3月には暴力行為等処罰ニ関スル法律違反により保護観察、昭和61年3月には窃盗により中等少年院送致(月形少年院)となつた保護処分歴はあるものの、昭和61年9月に少年院を出て保護観察となつてからは本件に至るまで少年保護事件が家庭裁判所に係属したことは窺われず一応平穏に生活してきたこと、被告人は本件犯行を敢行したものの、逮捕・勾留・観護措置等の身柄の拘束を受けたことは一切なく、家庭裁判所調査官の調査はあつたものの審判等開かれた形跡も窺われず、本件について自己の行動を充分に内省したり自己の責任の重大性を充分認識する機会を与えられることなく本件の公判審理を受けるに至つたこと等の事情が認められ、以上のような諸事情を総合考慮すれば被告人に対しては観護措置をとるなどして自己の行動を内省させ、あるいは自己の責任の重大性を充分認識させたうえ施設収容等を通じて強力な保護を試みる等により保護処分による矯正可能性がなお残されていると認められる一方、被告人についての諸般の事情に鑑みると、今被告人を少年法の定める保護処分に付することが直ちに不相当とまで断定する事情はなく、逆に刑事処分を選択することが少年の健全育成を図るという少年法の趣旨に悖ることにすらなりかねないと思料される。そこで少年の健全育成を図るという少年法の趣旨に則り、被告人に対しては刑事処分を選択するよりは保護処分による矯正教育の機会をなお与えるのが相当であると判断した。

三  よつて少年法55条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 荒川英明)

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